『嗅覚の記憶』ってね、脳の記憶を司る部分と直結してるんだって。
*蚊取り線香の香り。。。おじいちゃんの日に焼けた肌。おっきな笑い声。
*夏の草木のムッとする香り。。。セミとり、じゃんけん、かくれんぼ。
*お香の匂い。。。バリ島の夕暮れ。子供達の溢れそうな笑顔と白い歯。
普段はまったく思い出す事のない記憶が、何気なく嗅いだ匂いによって、
フラッシュバックのように鮮明に甦ることって、ない?
しかも、マツゲの形や、シワのひとつひとつまで、鮮明に甦るなんて不思議。
再びあたしの元に舞い戻ってきたその記憶は、
時にあたしを残酷に傷付け、
時にあたしを優しく包んでくれる。

『ぼくたちは 何だかすべて 忘れてしまうね』
って、作家岡崎京子さんも言ってるように、良くも悪くも、人は忘れゆく生き物だ。
生きてる以上、変化は否めない。
今ここに広げた手のひらだって、皮膚の中の細胞は喪失と再生をくりかえし、確実に老化している。
あたしはずっとずっと長い間、その『変化』が怖かった。
真夜中、カチカチカチカチって時間を刻む時計の音が、意味もなく突然こわくなったり、
刻一刻と表情を変える夕焼けを見ながら、いつの間にか泣いていたり。
『変化が怖い』ってゆう心理の根底には、
人間の本能とも言うべく『死に対する恐怖心』が先天的に潜在している気がする。
この間、ゲド戦記をみたけど、主人公アレンが、死を意識しすぎるあまり、
生を十分楽しめなくなってしまったみたいにね、
あたしも、変化を恐れるあまりに、肝心な今がみえなくなってしまってた気がする。
家族 恋人 大好きな場所 幸せな時間
居なくなってしまう前に、なくなってしまう前に、終わってしまう前に、
これらをとことん写真やビデオで撮影して、「形を残す」という事にあたしは昔徹底的にこだわった。
変化は否めないけど、「ここに確かにあったよ」ってゆう証拠があれば、まだ救われると思ったから。
だけど、
大好きな人と日差しの下で笑ってる写真をいくら大切に持っていても、
今のあたしが日陰にひとりぼっちでいたなら意味がない。
いつか終わるということに気をとられて、今を見失ってしまっては、意味がない。

2年前、記憶屋さんってゆう人と出会った。
彼は、あたしの記憶を、預かって保管してあげると言った。
忘れたくない大切な思い出を、鮮明なまま色褪せぬよう、守ってあげると彼は言った。
???だったけど、このひと、もしかしてあたしと感性が似てるのかなって思って仲良くなった。
『過去を無理に忘れる必要も、無理に形にして残そうとする必要もないのかもね。』
今のあたしは、漠然とこう考えている。
《忘れたくないことだったら、無理に刻み付けなくても、きっと思い出せる。
匂いによって、埋もれてた記憶が再び呼び起こされるように。》
記憶が色褪せていく様に、あたしも日々変わってく。
去るべきものは去り、あるべきものは残る。
でもそれは自然なことで、躊躇し悲しむことじゃない。
変化=生そのものだから。それから、あの時の記憶屋さんとは今も仲良し!
桜がきれいに咲いたねー。とか、東京でもセミが鳴きはじめたよ。とか言いながら、お互い‘変化’を愉しめるようになった。
なんだか、固いハナシになったけど、
形あるビデオや写真よりも、形のない嗅覚の記憶の方が鮮明だなんて皮肉だなぁって思ったことが発端で、 色々考えたって事でした!
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